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新・3大 浅野祥雲作・コンクリート像の忘れられない表情まとめ【マツコ&有吉の怒り新党】

   

マツコ・デラックスのレギュラー番組『マツコ&有吉の怒り新党』(2015/4/8)で放送された、
「新・3大 浅野祥雲作・コンクリート像の忘れられない表情」をまとめました。
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浅野祥雲は、
昭和初期〜50年代まで活躍したコンクリート造形師です。

東海地方の各地にコンクリート像を数多く残しています。

しかし浅野祥雲の作品は多くの人の目に触れているのにも関わらず、
生前は美術界から評価されていませんでした。

浅野祥雲自身も平成に入って一部マニアに興味を持たれるまでは、
全く無名の存在。

浅野祥雲が残したコンクリート像は何とも味のある表情をしていると評されます。

今回は浅野祥雲研究家の第一人者、
ライターの大竹敏之が一度見たら忘れられない表情の作品を3つ選定しました。

浅野祥雲とは?

東海地方には、
巨大な人形が並ぶスポットが多いです。

そしてその中の多くは、
浅野祥雲がたった1人で造ったもの。

浅野祥雲は若い頃、
出身地の岐阜で土人形という民芸品を制作していました。

その後33歳で名古屋へ移住。

もっと自由に大きな人形も造りたかった浅野祥雲は、
当時最先端だったコンクリート素材に注目しました。

鉄筋を組み、
コンクリートで肉付けした像を制作。

頑丈で雨風に耐えるコンクリートなら後々まで残る作品が造れるということで、
浅野祥雲は54年間コンクリ一筋でした。

様々な依頼に答え、
巨大コンクリ像を数多く制作。

研究家大竹敏之の調査では、
浅野祥雲の作品は東海地方を中心に758体あるとのこと。

代表作 五色山大安寺の人形群

初めて受けた大仕事で、
昭和15年完成の施設です。
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この施設は、
浄土真宗・親鸞の説話を人形で表現
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車もOKなので、
サファリパーク感覚で親鸞を学べます。

20万坪の敷地には、
2m級の巨大像が約100体。
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1体数百kgあるこの巨像達を浅野祥雲は、
自宅で造って1体ずつ牛で運び、
10年以上かけて設置しました。

浅野祥雲70代の頃の作品

関ヶ原の戦いを扱ったテーマパーク、
関ヶ原ウォーランドの像です。

有名な武将から無名の武士まで、
200体以上の像で関ヶ原の合戦を再現しました。
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この数の像を全部1人で制作。

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愛知県犬山市 桃太郎神社(新・3大その1)

子供の健康祈願がなされるこの神社から、
子供達が喜ぶ像を建てて欲しいと依頼されました。

浅野祥雲は18年かけて、
桃太郎の名場面を人形で再現

桃太郎の誕生
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おばあさん
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おじいさん
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育った桃太郎
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キジ
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いかつい表情の赤鬼
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桃太郎は勝利を収め、
鬼は降参です。
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桃太郎一行は宝物を運びます。
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そしてストーリーの最後に絶妙な表情の像があるんです。

反省した鬼の表情(新・3大その1)
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ずっと怖い顔だった赤鬼の顔がメチャクチャ反省した表情になっています。

大竹敏之曰く、
下がったまゆげと目尻のゆるみはどんな子も怖がらない絶妙な表情。

浅野祥雲が親しみやすさをかなり大胆に取り入れた作品です。

現在も沢山の子供達が訪れるこの神社。

職人浅野祥雲の想いは今でもこの地で生き続けています。

愛知県日進市 岩崎御嶽山(新・3大その2)

浅野祥雲作品はアトラクションだけではありません。

さまざまな発注を受けた浅野祥雲ですが、
本人がライフワークとしていたのが仏像や神像です。

素材がコンクリートで独学であるゆえに美術界の評価の対象になりませんでしたが、
隠れた名作が各地に眠っています。

愛知県尾張旭市 愛宕山厄除け弘法大師像

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全長10.9mのこの像を浅野祥雲は1人で造りました。

愛知県名古屋市秋葉山圓通寺 毘沙門天像

そんな祥雲が愛し、
人生で何体も造ったのが毘沙門天像
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毘沙門天は、
邪鬼を踏み潰し財宝を守るとされる神です。

この構図は他のお寺の毘沙門天像と共通していますが、
一般の仏像より人間らしい表情を見せるのが浅野祥雲作の特徴です。
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さらに踏み潰されている邪鬼のうらめしそうな表情も繊細に表現されています。
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愛知県日進市 岩崎御嶽山

何体もある浅野祥雲作の毘沙門天像ですが、
研究家大竹敏之でも解明できない謎の表情を持つものがあります。

それがあるのは愛知県日進市の岩崎御嶽山。

小高い山の全域に霊神が祀ってある霊域です。

そんな山の少し開けた場所に、
問題の毘沙門天像があります。
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浅野祥雲作らしい人間味ある表情ですが、
毘沙門天に踏まれている邪鬼が独特です。

毘沙門天に踏まれている邪鬼の表情(新・3大その2)
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なぜだか邪鬼が超余裕の表情となっています。

大竹敏之曰く、
格好も邪鬼というよりオジサンのようで無性に可愛いとのこと。

愛知県南知多町 中之院(新・3大その3)

14歳の頃に無縁仏の供養がしたくて仏像を造る為に彫刻を学び始めたのが、
浅野祥雲が像を造り始めたキッカケです。

像を造る動機は「慰霊」の想い

紹介した関ヶ原ウォーランドも観光地ですが、
元々のコンセプトが沢山のお侍さんが亡くなっているのに、
供養寺も何もないから供養しようというのが開設した人の想いです。

浅野祥雲は侍の像にも慰霊の意味を込めました。

3つ目に紹介する像は「慰霊」が関係しています。

浅野祥雲は派手にペイントされた作品ばかりが印象的ですが、
そうではない「慰霊」の意図がしっかり込められた作品です。

その像は、
愛知県南知多町の中之院にあります。

この小さなお寺の庭を抜けると、
目の前には慰霊の想いを込めた浅野祥雲渾身の作品がたたずんでいます。

中之院 軍人慰霊像(新・3大その3)
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この約100体の像が、
昭和12年〜18年にかけて浅野祥雲が心を込めて造った作品です。

軍服の兵士達が集合写真のように並んでいます。

その表情はまるで写真のようで、
これまでの作品と違い今にも動き出しそうです。

このまるで生き写しかのような表情には、
ある哀しい背景があります。

日中戦争初期の昭和12年、
地元名古屋で集められた約100名の部隊が中国へ出兵。

彼らの多くは、
わずか半月のうちに帰らぬ人となってしまいました。

悲しみにくれる遺族達は、
・帰らぬ家族の姿をもう一度見たい
・ずっと形に残したい
と生前の写真を渡しコンクリート像を依頼。

浅野祥雲は遺族達の想いを受け止め、
当時最先端で永久に朽ちることのないと思われていたコンクリートに命を吹き込み、
まるで生き写しかのような姿の像を完成させました。

こうして永久に生き続ける夫や息子を浅野祥雲は中之院に残しました。

そして遺族の願いを叶えたこれらの像は、
必死に守られていくことに。

中之院の住職さんによると、
軍服を着ており軍国主義的に見える像なので、
当時の進駐軍によって「壊せ」という指令があったとのこと。

しかし当時管理していたお坊さんが必死に抵抗し、
なんとか取り壊しを許してもらったそうです。

以降現在までしっかりと守られています。

制作から80年、
永遠に残れという想いが込められたコンクリートには、
無情にも傷みが目立ちますが、
浅野祥雲が込めた弔いの心は像の表情を見るだけでひしひしと伝わってきます。

 - マツコ&有吉の怒り新党

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